日本を変えた 千の技術展 【後半】「科学や技術に夢を感じた時代は終わった」
前半に引き続き、長内先生・牧先生と訪問した「日本を変えた千の技術展」の様子をお送りいたします。
最後にシロナガスクジラと一緒に!
※ソニーが開発した製品群の前で。フライパンでシュウ酸第二鉄を熱して磁気テープ用の磁気材料を作る映像を見ながら
長内先生(以下「長内」) あ、(映像でフライパンを使っている人は)木原さんだ、β-max 作った人。気に入られて、30分のインタビューのはずが 3時間やったことがある。インタビューの2年後くらい亡くなられて
――なんか(映像は)皆様のご家庭でやってみてくださいみたいな感じですが
長内 刷毛で(磁気材料をテープに)塗ったんですよ。狸の毛の刷毛がよかったらしい
――量産ラインでも狸の毛を
長内 狸の毛を最初使っていた
牧先生(以下「牧」) 昔って SONY って SONI だったんですか
長内 最初 SONI-TAPE という製品があって、そのころは東京通信工業(という社名)だった。これもきっかけになって SONY になった
――それこそシャープペンシルがシャープになったように。でも SONY の SONI TAPE はややこしいですね
長内 (テープレコーダーの)G型の G は Government の G です。裁判所とか政府機関が公式記録用に買った
牧 一般消費者には手が届かなかった。これが本格的に民生用に進出するきっかけになったということは、それまではそうじゃなかったと。ほとんどが政府用ばっかり
長内 このモデルは政府用で、この後に出したこれは報道機関とか、民生用に
――当時はいわゆるベンチャー企業で、そういう会社が作ったものでも裁判所は買ってくれたんですね
長内 これはたぶん、CDP-101、(世界で)最初の82年に発売したCDプレーヤー。あれはアナログ信号をデジタル信号に変換するPCMプロセッサの一号機、PCM-1、レコード会社とかに。これ(写真)はアメリカでヒットしたラジオ(TR55)
牧 プロジェクトX かなんかでやっていた、アメリカで売ろうとしたら思いのほか暑いところを通って壊れてという
長内 それは別のモデル、国連ビルモデルといわれていた
注:1955年に開発されたトランジスタラジオ TR-52 はその形から「国連ビルラジオ」と呼ばれたが、熱で格子部分が変形するという不具合で発売に至らなかった。その後同じ年に開発された改良版が TR-55 で、これが展示されていた日本初のトランジスタラジオ
参考 Sony History 第6章 トランジスタに "石" を使う <トランジスタラジオ>
https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/1-06.html#block4
――これ(テープレコーダーやトランジスタラジオ)は所蔵:ソニーだけどレプリカなんですね
長内 ということはまともに残っていないんです。たいていそうなんですけどね。ちゃんと取っておく会社じゃないので
――過去は振り返らない
長内 年末に歴史資料館壊しちゃいましたし
――早稲田は新しく作ったのに
注:北品川のソニー歴史資料館は2018年12月に閉館。一方早稲田大学の本部キャンパス内にある早稲田大学歴史館は2018年3月に開館
牧 WALKMAN は79年が最初なんですか
長内 そうです一号機だけ型番がTPSなんですね(TPS-L2)。二号機からWM。最初 WALKMAN の名前が決まっていなかった
――意味はあるんですか
長内 Tape Player Stereo じゃないかと思います
――L2 ということは L1 があるんですか
長内 ないです。ここに展示されているTPS-L2は後期生産のものですね。初期のころはまだ WALKMAN の名前が決まっていなかったからロゴが付いていなかった
牧 こうしてみると、Apple がやったことはやはりソニーがやってほしかったですね
長内 あ、あっちにソニーの電池が
――ソニー製品の展示しか見るなと(笑)
※テレビの展示の前で
長内 高柳先生は世界で初めてブラウン管に映像を電送・受像させた「テレビの父」と言われている方なんです。当時はテレビを実現するには様々な方式が提案されていて、ざっくり分けると機械式と電子式。高柳式は送り側は機械式なんですが、ブラウン管に初めて映像を送ったということから「電子式ブラウン管の父」とも呼ばれています。その後のテレビの元祖ですね。ちなみに高柳先生も高校の先輩。
注:高柳健次郎は浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)助教授時代に世界で初めて電子式ブラウン管を開発した。1926年12月25日、イロハの「イ」の字を表示することに成功
参考 公益財団法人高柳健次郎財団
https://takayanagi.or.jp/sub/takayanagi.html
――この小さいソニーのは
長内 これ直流・交流に対応していたので、アメリカで車に載せるのが流行ったのです。これ8インチなんですが、5インチがすごいヒットした。研究室に一台置いてある
――映るんですか?
長内 映らない。7万くらい出すと直してくれる業者があるらしい
注:TV8-301 は 1960年発売のソニーによる世界初のオールトランジスターテレビ。サイズは8インチでポータブル性を追求した。2年後の1962年には5インチの TV5-303 を発売、同年のアメリカでの発売に合わせてニューヨークの5番街にショールームを設立した。また映画『007は二度死ぬ』のボンドカー(TOYOTA 2000GT)にも、丹波哲郎演じる日本の諜報機関員と連絡するためのアイテムとして搭載されている
参考 Sony History 第9章 2T7型トランジスタ 第4話 難産の虚弱児
https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/1-09.html#block5第13章 IREショーで見つけたもの <トランジスタテレビ>
https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/1-13.html
※電子計算機の前で
長内 ソニーが昔作ったトランジスタ式計算機です。高周波のトランジスタの出来損ないって、高周波の処理には使えないんですけど、電子スイッチとしては使えるので、論理回路を作ることはできるんですね。厚木で当時生産していたトランジスタのあまりものを使って、不良品を使って作った電卓がこちらなんです
――捨てるものだからコストダウンになる
長内 これも車の中で使えるようにAC・DC両対応に
――車の中で計算しようという人がいるんですね
長内 シャープとかカシオより商品化したのは古いんです。このサイズで
注:SOBAX ICC-500 はソニーが 1967年に発売した世界初のオールトランジスタ電卓で、電池での駆動も可能であった。当時の価格で26万円。SOBAX は Solid State Abacus (固体回路ソロバン) から来ているとか。その後市場競争の激化もありソニーは1973年に電卓事業から撤退。
参考 Sony History 第14章 旅客機に乗ったVTR 第2話 電子ソロバン
https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/1-14.html#block3
※半導体の展示の前で
――ちょっと心が痛みますね
長内 東芝のDRAM見ると。技術遺産というカンジ。NAND型フラッシュもあるし
――技術だけじゃダメってことですね
長内 そんな印象を。昔はよかったねと
注:半導体メモリには電源を切ると記憶を失う「揮発性メモリ」と失わない「不揮発性メモリ」があるが、東芝は1984年に日本で初めてパソコンのメインメモリ等に使われる「揮発性メモリ」の一種である1MビットDRAMの開発に成功、世界トップのDRAMメーカーとなるきっかけとなった。また同じく1984年には新たなタイプの「不揮発性メモリ」であるフラッシュメモリを発明、1987年には大容量・低価格を実現するNAND型フラッシュメモリも発明した。
しかしその後東芝はパソコン需要が頭打ちとなった2001年に DRAM から撤退、またフラッシュメモリ事業を行う子会社・東芝メモリは粉飾決済による債務超過を回避するために2018年に米投資ファンドのベインキャピタル主導のコンソーシアムに譲渡された
参考 東芝未来科学館 日本初の1MビットDRAM
http://toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/history/ichigoki/1985dram/index_j.htm
同 世界初のNAND型フラッシュメモリ
http://toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/history/ichigoki/1991memory/index_j.htm
※PCの展示の前で
長内 ベーシックマスターは日立
――だったらAppleを置いてあげたほうが
長内 そこはやはり日本の。TK80に至っては写真だけ
注:個人用途のコンピュータとしては、日本ではシャープの MZ-80K と日立のベーシックマスター MB-6880 が 1978年に登場。また翌1979年には NEC が PC-8001 を発売。一方 Apple Computer による Apple I は1976年、Apple II は1977年とわずかに早い
また TK-80 は NEC が 1976年に発売した国産初となるワンボード・マイコンであり、企業におけるマイクロプロセッサの教育用キットの位置づけ。翌年発売された拡張ボードを用いることで、キーボード入力と家庭用テレビへの出力が可能となった
※黒電話と記念写真を撮るコーナーで
長内 ダイヤル式が珍しくなっちゃうんですね。(昔使っていたのは)ダイヤル式でした?
――はい
牧 確認しないと(笑)
――ちょっと触ったことなんですよねと言われかねない(笑)
牧 これどうやって使うんですかって。電話とおもわないでしょうね
長内 どっちを耳に当てるかわからない
牧 ケーブルがついているほうが口だとアフォーダンスしているはずだから、と
※「二十世紀の予言」の検証コーナーで
――(二十世紀にされた将来の変化の予想のうちで、暴風が防げるようになる、獣と話せるようになる、等)「自然」側の(予言の)ほうはあまり実現していない
牧 (自動車の発展、全国への送電網等)現実になったものは(当時でも)思いつくだろうなと
――変化の途中にあるものをそのまま伸ばした
長内 人の手で変えられるもの
――主にインフラ系ですかね
牧 これ(将来予測)を授業の最終課題にして、10年後に公開したり(笑)
――10年前と今、何が変わったかというと
牧 スマホはなかったですよね、iPhoneが発売されたのが……
長内 日本で発売されたのが2008年です
牧 じゃあもうできている
――(10年の変化は)スマホの歴史分、ということですね
注:Apple Computer による初代 iPhone の発売は 2007年。日本では用いられていなかった GSM規格の端末であったため日本では使えなかった。日本での発売は W-CDMA に対応した iPhone 3G が登場した翌 2008年。発売元はソフトバンク。
※移動して、ハードロックカフェにてランチを食べながら
牧 「未来」の展示がショボかった
長内 もうすこし昔の人がどのように未来を考えていたかを掘り下げてくれてもよかった
――どう実現したかと
長内 よく昔あった、「未来はこうなる」みたいなな雑誌の記事をいっぱい並べても面白いと思う
牧 科学とか技術が夢を感じた時代がどこかで終わったのかなと。日本を変えた技術で2000年代とかもうちょっとあってもいいのにでてこなくて、そこに違和感があまりない(笑)
長内 今の子供たちが科学に夢を見ていない気がします。22世紀がこうなるというワクワク感があまり持ってないような
牧 こういう展示だとアニメとか漫画のテクノロジーのコーナーが、日本発としてあってもいいのかなと。鉄腕アトム、ドラえもん、エヴァンゲリオン、ガンダムみたいな
長内 追いついて追い越してる技術もある一方、全然追い越していない技術も。ガンダムとかロボット系は。将来的にはわからないのかな。ロボットはこれから大きく変わる可能性はありますよね。その点でアメリカや日本が中国の華為を警戒するのは正しいのかなと。華為だけ5Gを、スタンドアロン型と言っているんですが、既存のLTEにたよらずまるまる5Gで実現するというのをやっている。それはスピードよりも低遅延に重きが置かれていて、瞬発力のある通信ができて、AIだとか自動運転・ロボット・遠隔医療とかに応用しやすい技術。その辺を描いている中国のほうが、日本とかアメリカにいるよりも未来に対して肯定的にみているのかなと
――巨大インフラをごそっと入れ替えるような話になると、共産国家のほうがやりやすい
長内 5G の可能性をいろいろなところに結びつけて考えているのは日本より中国なのかなと。今日の展示では国を興すための技術へのニーズが日本にあったことを感じるじゃないですか。それを今感じるのが中国
牧 今日の展示はおじさんが喜ぶ感じで、アメリカでやるともっと未来の子供が喜ぶ感じのをやる気がして、今日のを子供がみてもワクワクしないんじゃないのかな
長内 おじさんが喜ぶかんじでしたね、最後胸がきゅんとする。あの頃はよかったなと
――この先に輝ける未来を感じられていない
牧 どの国が(展示を)やっても多分そうなるんですが
――本当に昔がよかっただけに、落差がある
長内 今度みんなで「バブルへGO!」の鑑賞会を
注:『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』は2007年公開の映画で、広末涼子演じるキャバ嬢が阿部寛演じる財務官僚により、バブル崩壊を防ぐべくタイムマシンで1990年へ送り込まれる、というストーリー。原作はホイチョイプロダクションによる『気まぐれコンセプト』
牧 あの時代知ってるんですか
長内 高校生くらい
――(長内先生は)ジュリアナの近くの高校に
長内 ジュリアナができたのは大学に入ったくらいで、あれバブル崩壊後にできたんですよ、1991~92年くらい
――そうだ、当時 "3J" っていって、はやりものが。ジュリアナとJリーグと、ジュラシックパークがめちゃくちゃはやった
注 ジュリアナ東京は1991年に港区芝浦にオープンしたディスコ。仕掛け人の折口雅博はその後人材会社のグッドウィルを設立。Jリーグの開始は1993年。当時の所属クラブは鹿島・浦和・市原・V川崎・横浜M・横浜F・清水・名古屋・大阪・広島の10クラブで、初代年間王者は松木監督率いるV川崎。『ジュラシック・パーク』は1993年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督による映画。2019年2月現在の日本における歴代興行収入ランキングで16位(128.5億円)。
長内 無駄に自信を持っている人が世の中多かった気がする
牧 中学生の時イタリアに住んでいて、だから多分知らないんですよ
長内 92年くらいにイタリア人と議論したことがあって、日本がなんでもかんでもイタリアの文化財を買っていくのはけしからんといわれて、誰かがお金を出して人類の遺産をケアしているのはいいこと(と反論した)
――お金持っている人がやればいい
牧 そうなると大英博物館みたいになっちゃうけど(笑)
長内 いま日本人はそんなこと言えないなと(笑)。ぼくのバブル経験はそこがピークだった気がする
牧 (展示で)個人の名前っていたるところで出てきたじゃないですか。いま同じことをすると個人という感じじゃないのかな。すごい魅力的な個人が出てくる展示が多かったですよね
長内 論文がどんどん共著になってきているのと同じ流れですね
――そんななか最後の(展示にあった)山中先生、まあノーベル賞くらいになるとバイネームでと
長内 そんな山中先生もチームでの研究をすごく大切にしている。できるだけ学際的なメンバーをそろえるというのが山中先生の思想。だから経営学者も入る
――それくらい可能性、汎用性の高い技術ということもあると
牧 今日の展示は実は、留学生はピンとこないかも。日本人の昔を知っている人が懐かしむ要素が強い。何を持ち帰れると留学生が良かったと思うかを作ろうとすると難しいと思うんですが
――そもそも留学生が何を求めて日本に来たのか、何を求めて長内ゼミ・牧ゼミに入ったのか
牧 長内ゼミのほうが日本のものを求めて入っていると思う。日本のものづくりとかメーカーとかに興味がある人なので、そういうひとには(持ち帰れるもの)ありますよね
――どこの国から来た人によるところもあるかもしれません。千の技術博に行ってレポート書けって言われて何を書くか
長内 どういうレポートの課題を出すかも迷いますね
――しかし(頼んだメニュー)炭水化物量凄いですね
牧 アメリカの不健康な料理の象徴ですね
長内 チキンが健康に見えてしまう(笑)
不健康な食事の後でも、スイーツは別腹!
明治150年記念 日本を変えた千の技術博
2018/10/30~2019/3/3, 9:00~17:00(金土は20:00まで), 月曜休館
国立科学博物館(東京・上野公園)
http://meiji150.exhn.jp/
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